仁川ワールドインラインカップの
ワールドインラインカップ 080613-080616 mail_me
mmm_sk8er@yahoo.co.jp
HPはこちら
HPはこちら
開催日: 2008, 6, 15
各写真は高解像度写真にリンクしてあります。
個人の写真は勝手に使用しております。
掲載等に不都合の有る方、ご連絡下さい。
連絡先mmm_sk8er@yahoo.co.jp
韓国で行われた仁川インラインワールドカップ2008に参加してきた。
自身の日程としては
6月13日、インチョン入り〜ホテル宿泊
6月14日、午前中練習〜夕方ミーティング
6月15日、仁川インラインワールドカップ2008当日
6月16日、帰国
と言うような日程となった。
6月14日金曜日
有給の関係上、単独での韓国入りとなった。
携帯はDocomoだったのだが、出来るであろうと思っていたワールドローミングは出来ず、また現地では充電も出来ず、終止単なるカメラにしかならなかった。
空港で小銭を用意し、公衆電話から2回ほどかけ間違えた後、電話をかけ、
ようやく連絡を取る。
ホテルの管理人さんと、YUKIO氏、YOKOマネージャーに迎えにきていただき、
無事ホテルまでたどり着く。
その後揃って夕食へ。
焼肉はおいしく、本場のビビンバを食べられた。
6月15日土曜日
午前中練習。
ハイアットホテル前から公道を使って練習。
アップの1往復から脱落する。
公道なため、普通にバスや自動車が行き交う脇を滑っていたのだが、
最端部でアスファルトがひび割れており、足を止めてしまう。
その後の2往復はローペース組で、パックの意識を持って。
自分達が練習を始めた後くらいから、
ローラーブレードやパワースライドのワールドチームが同じコースで練習を始めていた。
凄い綺麗な滑りを見る。
そしてああ、とんでもないところに来てしまったと、改めて認識する。
お昼は韓国の中華屋。グルタミン酸ナトリウム、いわゆる味の素の味だった。
夕方5時から、エントリーした日本人が集合してミーティング。
ゼッケンとパンフレット、そして協賛品のTシャツが手渡される。
そして6時半から前夜祭パーティ。
ワールドインラインカップの会長さんが挨拶していたが、
今オリンピックの競技にローラースポーツとしてアピールしているところで、
このインチョンのレースが良いデモンストレーションになるから、
参加する人頑張ってください、と言った挨拶がされる。
その後は長い挨拶の後、招待選手が壇上に呼ばれ紹介されていた。
Kazaxの面々も壇上に上がっていた。
さらにパーティは続き、先のワールドカップの動画が上映され、
謎のベリーダンスが壇上で披露される中、食事を終えお腹がいっぱいになった面々は先に会場を後にした。
6月15日日曜日
7時にハイアットホテル前集合し送迎バスに乗る、と言うことで集合していたのだが、
7時の段階で集まっていたのは日本人、ドイツ人、ロシア人、だったらしい。
到着したバスに先に乗り込んでいたのだが、
イタリア人主体のBontワールドチームとかまだ乗り込んでいなかった。
で、ワールドチームの選手がまだ乗ってないから、おまえら降りろ、と言う話になった。
が、結局、乗っちゃえ、乗っちゃえ、もっと詰めろと声が飛び、
わらわらと外人が乗り込んでくる。
イタリア人、マイクが近くにあったためか、ときどき陽気に騒いでいた。
ちなみに、座った俺の脇の手すりに腰かけていた女性、BONTガールズの人でフルマラソン女性の部でトップにたった人では無いかと思う。2位の人は確実に一つ前の席のところに立っていた。
ああ、サイン貰えば良かった。
会場へ到着。
Kazaxのテントへ。そのテントが日本人選手の控えテントになっていた。
トイレはテントのすぐ裏にもあったのだが、古式ゆかしい強い匂いのするトイレだった。
脇がパワースライドのテントで、選手たちが準備していた。
各自アップ。
ブースやテントが設置された場所の地面は砂地であり、
ところどころビニルシートが引かれていた。
走ったり柔軟したりして体を準備する。
先にフルマラソン組がスタート。
が、スタート地点はテント場所から遠く、その様子は見れなかった。
9時くらいに同じクラスにエントリーしていたイサヒロ選手に声掛けられ、
スタート地点に移動する。
当初ゴールエリアに入ってしまい、なんか違う、と戻った。
スタートとゴールは同じ場所になっていたのだが、
柵で区切られ、乗り越えられなかった。
スタートはいくつかのブロックで招集されており、日本人選手はシード権があったのだが最前列のブロックに位置することが出来た。
シードではない韓国の選手がゼッケンをチェックされ、
スタッフの人に後ろにいくように言われているケースもあった。
スタートまではだいぶ時間があった。
座って待っている間にも、どんどん後ろに人が集まってきていた。
先に動いていてよかった。
イサヒロ選手が水をいらないというので、ありがたく貰う。
この水のおかげで、後半、非常に助かった。
やがて、スタートする雰囲気になる。
大体前から3列目くらい。
全員が立上り、ラッシュアワーのように肩やら何やらがくっついた感じになる。
係の人が韓国語で何やら言っていて、そこからカウントダウン、なんだけど。
3、2、1で3、が終わった位に先頭の人はダッシュしていた。
おかげで3列めの俺は慌てることなくスタートできた。
が、人、人、人、
いやインラインスケーター、インラインスケーター、インラインスケーター。
自然にパックになっていた。
メインはおよそ3列くらい。
1パックが前に20人くらい、後ろは、振り返らなかったので良く判らないが。
その後ずるずる落ちていっても、まだ人の群れが続いていたから、
50人くらいの長さになっていたのでは無いだろうか。
2車線ほどの道に横に3列のパック。
練習ではパックに入って滑ることが出来なかったのだが。
そんなこと言ってられない。パックから外れて滑れる場所が無い。
唯一路肩の方が空いている時もあったのだが、
ちょっとダッシュしちゃって、前の人に突っ込みそうになって、脇に避けたら路肩。
そのまましばらくダッシュしていたら、自分を押す手を感じた。
慌てて、本筋のパックの隙間に飛び込む。
パックに追い付くときは一息に追い付くように、と言う教えを思いだし、
その後は前の人と離れちゃったらダッシュ。
ちょっと速くて手を着いちゃうと、後ろから俺を押す手がある。
おかげで足を止めちゃっても、押してもらえて進むことが出来た。
足を併せてペースを併せるというのはなかなかできずに、何度かダッシュとストップを続けながら往路の中盤までは進んで来た。
自分が前のパックから離れすぎちゃって、後ろから来るパックに入ろうと、
後から来る人の腰に手をついて体を入れる、とか。
練習でもやったことないことをやってた。
往路の中盤まではそんな感じでなんとか着いていった、
厳密に言えば押してもらって進んでいったのだが、
途中からペースが一気に上がる。
何だろう、下り坂か、と思った直後に、路面がひどくなり足を止めてしまう。
登り坂の前のペースが上がるところだった。
このペースアップ恐いな、と足を止めていたところだったので、
そのまま登りに入り、一気に置いていかれてしまい、後はもう一人旅へ。
折り返した後、大きな集団はもう目にも入らず、ひたすら一人で。
前を1パックが進んでいたのだが、追い付いたときにはペースが落ちていて、
そのまま一人で進み続けた。
また後から速い組が追いあげてくることもあったのだが、
気づいてからペースを上げても追い付かず。
途中から腰が痛くなる。
一度腰を伸ばし、痛みが取れたらまた足を入れ、また痛くなったら腰を伸ばし。
それを繰り返しながら進んだ。
どこまで行くんだろうと気持ちが萎える頃、フルマラソンの折り返し地点が見えてくる。
確かこの辺がスタートから1、2kmの地点であったと思い、改め手足を動かす。
スタート近辺の風景が見えてきて、もう一回軽く坂を登って、下り、やがてゴール。
呼吸や足が終わることはなかったが、とにかく腰が痛かった。
ゴール地点で、胸のゼッケンを返す。
そこにICチップが張り付けられており、
それを返さないと記録がなされないとのことだった。
引き換えに記念品と、
ポカリスェットとミネラルウォーターのペットボトルと蒸しパンの入った袋を貰う。
先にゴールしていたイサヒロ選手、またKing-Tの上田選手の姿も見れた。
テントに戻る。
女子20kmにエントリーしていた丸山佳代子選手が、
2位に入ったようだと淡々と報告していた。
そのあまりに普通な様子に、周囲が改めて確認を取ったりしていた。
しばらくは待ち時間。
表彰式前に出展されたブースを見たりする。
インラインブーツを模したストラップなどを買った。
表彰式。
フルマラソン男子、女子、21km男子と表彰され、
21km女子の部で丸山選手が壇上に呼ばれる。
表彰式は男性と女性二人で進行され、
男性が韓国語で、女性が英語で話していたのだが、
丸山選手の名前がどちらも発音しきれていなかった。
表彰式終わって、再びテントへ。
ホテルへの往復バスは終了しており、別に送って貰えるということで、
しばらく待ち時間となった。
ちょっと奥の方の屋台を見に行こうと場を離れたところ、
すぐに移動が始まってしまい、皆に迷惑をかける。
すいませんでした。
ホテルに戻り、夕方から祝勝会を兼ねた海鮮パーティーへ。
6月16日。
二日酔いか軽い風邪か、若干頭痛を感じながら、日本へ戻ってきた。
有給とって参加した今回の韓国行き。
色々と桁違いな物事を見聞きしてきた。
マツイ