練習と言うことに付いて、随想

人間は尻尾を振れない。
なぜなら尻尾が無いからだ。
体を動かすと言うことには多分に経験的なものが多く含まれている。
子どもがヨチヨチ歩くのは、歩くときのバランス感覚、
バランスを維持するための筋肉の使いかたを知らないからだ。
実際に歩いて行く中で、動きを最適化して行く。
山歩きとか、ウォーキングとか、競歩とか、
余程特殊なことでない限り、歩き方を教えられることなど無い。
経験し、間違えたら修正し、そうやって歩けるようになって行く。
多分、本当はインラインスケートも同じ事なのだと思う。
最初は滑べることなど出来ない。
生れつき、
足の裏にタイヤが着いているわけではないのだから。
が、人はウィールを手に入れた。
どうやったら滑べれるのか。
経験を積み重ねて滑べり方を覚えて行く。
もちろん普遍的な部分はある。
そう言う部分は人に教わって、
そうやって動いてみることで、知識と経験が重なる。
が、全ての人が、体重、筋力、身長が違う。
ある人の正解を、言葉に変換して、
人に伝えたところで、それが同じく、経験として再現されるわけではない。
とりあえず、やってみる。
残念ながらインラインスケートにはそう言う部分が多いように思う。
まだまだ普遍的な一般論を語るには、絶対的なサンプル数が少くて、
普遍的にするのが難しい、
ように思う。
形を見せることが出来る。
自分がどうやってやってるのか、言葉にして伝えることが出来る。
でもそこから先は、自分でやってみて、
先ずやってみて、
経験し、
失敗し、
そのうち成功体験があって、
動きを最適化し、
成功体験がいくつも重なって、
再現性が上がって来る。
それが練習なんだろうと思う。
まー、一般論の積み重ねで、あることが出来るようになるプログラムが作れない、
作り切れてないところが、
スラロームがまだまだスポーツになれない、
その原因の一つだと思うんだが。
逆にスピードは圧倒的にそう言う部分がきっちりしていると思うのだけど。
もちろん理論、と言うかトレーニングの方向性として。
まぁ、それを聞いたところで、出来る、と言うこととはもちろん別物なのだが。
などと言うことをゴチャゴチャ考えていた。
で、思いついたこと。
“考えるな、感じるんだ。“
上手いことを言う。

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