地震明けの月曜日

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朝。
写真は、荒川を渡る歩行者の群れが流れが悪いので、遠回りだけどエスケープへ抜けた際のもの。
1時間半歩いて、電車が動いている赤羽まで移動した。
そして埼京線でいったん池袋に出て、山手線で神田に出勤した。
赤羽から京浜東北線、動いてはいたけど乗れなかったよ。
俺のように歩いて埼玉県から荒川を越えていた人が多数いたから。
そして、会社。
大ポカを一つ。
確認不足のなか、曖昧な回答して、結局上司がそれを取り消すまで、半日以上費やさせてしまった。
会社に損失与えちゃった。
減棒でも何でも。
その方が俺の気がすむ。
さて。
地震後、最初のウィークデー、月曜日。
工場の設備は問題なかった。
しかし停電がいつ起こるか判らない、その状況でうちの工場は一週間の操業見送りを決定した。
取引先と、多数の連絡を取る。
製品の在庫はある。
しかし運送業者さんのトラックを走らせるガソリンがなく、モノが届けられないことが判明して来た。
それは、まあ、きっといつか解消する。
今、思うのは連絡の取れない、日立市周辺の人達。
彼らは無事だろう、きっと。
ただ、バタバタしているだけなのだろう。
国道6号が渋滞していて、食糧すら届けられていないとも聞いた。
きっといつかは笑い話。
でも今は、何も出来ず連絡が入るのを待つしか出来ない。

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