スタイル、技術、コミュニケーション、そして成長。
と言うことをまとめてみようとしていながら。
まとまらない。
なんとなくひっかかってるので、メモ的に。
そもそもスタイルとは何かってのが問題だった。
“ライフスタイル“なんて言葉を使う。
“自分流のライフスタイルをエンジョイして”。
何だそりゃ?
スタイル。
やり方や様式と言う言葉に置き換えてみる。
ちょっと違うかな。
人とは違う、自分らしいやり方。
なんとなく判るような、気もする。
が、やはりよくよく考えれば、
俺もいろいろなことに対してスタイルを持つ。
例えば仕事の進め方。
先ず情報を集める。
徹底的にはやらない。
思いつけばそこまで、だったりする。
そして優先的にやることは手を動かすこと。
結果が出て来る。使えるか、使えないか、そこで判断できる。
考える。条件を変える。再び手を動かす。
思いつくだけのことをやって出来なければ、
そこで情報を集めることに戻る。
人によっては最初に徹底的に情報を、文献を調べる人もいる。
最近では、あることがらに付いて、
既に存在するデータベースから,
簡単に文献の情報をリスト化して得ることが出来る。
俺自身はそう言うことを全くやらなくなった。
しかし俺に情報を集める能力、
技術が無いかと言えば、そう言うわけではない。
その能力があってもそこに掛ける時間がどれだけ意味があるのか。
それだったら手を動かした方が早い。
では情報を集める能力が無い、もしくは弱い人であったなら。
技術が無くては、どうしようもない。
手を動かす以外に無いだろう。
もっともそれは教科書的な事柄であれば、対して問題にはならないのだろうが。
多くの場合、教科書に乗ってる情報では間に合わないことがある。
技術が無いと言うこと。
それもまたスタイルを律して来る。
いや、それはスタイルと呼べるか?
単に出来ないことを出来ないと、
ほうって置いて見向きしていないだけではないだろうか。
できない。
どうしたら良い?
人に聞けば良い。
教えを請えば良い。
教えるのが嫌いな人もいる。
俺もそうだったりするのだが。
でも話してもらえば、教えるのはやぶさかではない。
まず、聞いてもらえれば。
違うな。
困ってるようだったら、こっちから話しかければ良い。
”それ、こんなやり方があるよ”。
”いや、そう言うやり方があっても、これが俺のスタイルだから。”
うーん。
そこで話が終ってしまう。
出来ないことを出来ないとして放置して置くことを、俺は好まない。
そもそもその人がそれが出来ないことであるかどうか、
それが問題なんだが。
仮に出来ないとして、
それをやらなくても自分のスタイルだから、問題ない。
まぁ、俺に問題があるわけではないんだけど。
何か煮え切らない。
出来ないことを放置することを好まない、
それは俺のスタイルであるのだろうと思う。
そしてスタイルを延ばすと言うことが、
成長することであるとしたら、出来ないことを無くそうと言うことが、
俺のスタイルであったのだろうと思う。
そして出来ないことをそのままにしておく人を、
何か違うな、と思うのだ。
言いかえるならば、
明らかに技術的に優れている人が、
こういうことをこういう風にやる、
それは自分のスタイルである、
それは説得力がある。
えーと、まとまらないので、この辺で。