急逝した叔父の通夜と葬式に出席するため、実家に帰っていた。
職業柄、告別式などに出る機会も少なくはないのだが、久しぶりの身内の葬儀はさすがに感傷を伴うものだった。
残された家族はこれから大変であるに違いない。
亡くなった叔父の齢、60歳。
二人のお子さんはまだ上が中学生、下は小学生。
奥さんは若くはあるが。
仕事ではまだ定年を向かえておらず、公務員であったが、肩書きとしてはいわゆる常務取締役的なポジションであったようだ。
そう、それだけのポジションであったがため、非常に多忙であり、どうも話を聞いていると過労が急逝の原因なのではないかと考えてしまう。
久しく、会ってはいなかった。
そもそも、俺がほとんど実家に帰らず、帰ってもすぐに戻って来てしまうため、挨拶に寄っていなかったのだが。
いろいろ、いろいろ。
個人的には。
遺体に接し、それが焼かれて遺骨になり、骨壺に納められる際に細かくなって遺灰になっていく様に。
人としての器が失われて、無機的な記号になっていく様子に。
死と言うものを再確認させられた。
葬式と言う儀式は、亡き人が送られる儀式ののだなぁ、と変なことを考えていた。
ふと気付けば、もはや祖父母の世代はずいぶん以前にいなくなってしまい、父母の世代も大部分いなくなってしまった。
今回も、詳細を聞く前に心の準備をしていた。
どう足掻いても、いつかは皆平等に。
とりあえず今は、そう考えることで多少なりとも心は落ち着くか。
いざその時には、きっと遠慮なく涙を流すのだろうが。