月と六ペンス

読了。

以前に読んだのはおそらく19歳くらいの頃。
この本を読むのは二回目になる。
粗筋と結末はおぼろげに覚えていたつもりだったけど、読後の衝撃は変わらなかった。

タヒチで死んだゴーギャンをモデルにした、と言うが。
実際には中年になってから絵を描き始めた、と言う部分とタヒチでの死だけが要素だろう。

たまたま、読んでる最中に開催されていたゴッホとゴーギャン展。
二人の共同生活の部分は小説にはまったくない。
そして、このゴッホとゴーギャン展で見たのだけど、実際にはゴーギャン自体、同時代の印象派の技法を練習していた。
そのため、タヒチに行く以前でも細密な描写の絵もあって、小説内のようなダメダメな絵では無かった。

と、実際のゴーギャンのことを考えながら。

この主人公のように生きられたら、多分幸せなのだ。

金もない、安定した平滑の基盤も無い、弁が立つわけでもないのに女性には持てるし。
男って顔なんだよな、ええ、まぁ。

そんなダメな人間。
社交性も、計画的な人生設計も、安定した生活も、居心地の良い部屋すら持たない。

人が大人として持つべきものを全部捨てて、ただ胸の中に形にならない美だけがある。

羨ましいのだ。
本当は。

誰の目も気にせず、ただ自分のやりたいことをする。
簡単なことながら、それでも普通の人は、生活を続けて行くために必要なことには気を使う。
働いて収入を得て、生きていく。

それさえ投げ出すことは難しい、と言うより出来ない。
生活のための仕事もまた、生きることの目的になるのだから。

だからこれは、壮大なお伽噺。

それ故に、こんな生き方に憧れるのだ。
ホントは何もいらない。
ただ、単純でありたい。

無理なんだけどな。

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