平成二十三年上期振り返り

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1月。
PSPを買おうと思っていた。
前年秋からゲーム熱がぶり返していたため。
もっとも移動時間にゲーム、と言う形だったのだが。
が、折しもPSPの在庫切れ、発生。
なぜ在庫切れになったのか、結局判らなかったな。
2月。
スマホ買った。
それまで使っていたFOMA携帯のバッテリーがぼちぼち寿命となり、この機会にと。
ちょうどスマホでSPメールが普通に使えるようになっていたこともあり、パケホーダイ併せて購入。
これにより生活習慣も変わった。
これまで朝の通勤時間はボーッと、あるいはゲームしたりしていたのだが、スマホでニュースを読むようになった。
この習慣はその後の震災直後、日本のニュースメディアがやたらと薄くなっていた時に海外のニュースサイトをひたすら閲覧していたことで、今に続くまでの習慣になった。
3月。
震災発生。
それと前後する形で、健康診断のX線検診でひっかかり、肺の精密検査をすることとなった。
肺癌か結核か、とお医者さんが真顔で語ってくれ、さすがに考えさせられた。
最悪、最悪、肺を片方無くしたりしたら?
もう二度と全力失踪出来ない。
18年続いていたタバコを止める気持ちに至ったのは、走れなくなる、運動するという楽しみを手放さなくてはいけなくなることへの寂しさ、あるいは恐怖感からだった。
それ以来、今に至るまで一本も吸っていない。
また震災当日に歩いて帰ったこと、翌日のJRが動かない中、近くを走って見て回ったことは、その後、今の走る習慣の切っ掛けとなった。
4月。
節電やガソリン不足など様々な理由によりインラインスケートで運動することが出来なかった時期があった。
また震災後の自粛ムードにより、春先の大会が無くなったりもした。
仕事も何も出来ず。
荷動きは良かったけど、営業担当が必要ない時期だった。
ただ止めないように社内のバランスだけ見ていた。
結果、太った。まさかの、3kg増、60kgに。
ただ体重が増えるのは従来も季節変動があったのだが、今回は幅が大きく、その上、お腹が出た。
ベルトがキツくなり、さすがにヤバいと感じたのは4月28日のこと。
5月。
なんとかしなきゃ、と走り出した。
温水プールに行くことも考えていたのだが、温水プールは節電と一部は避難所としても使われていてプールは使えなかった。
走った距離は、当初は10km。
まだ汎用トレーニングシューズ、すなわち靴底の薄い靴で走っていた。
春の大会の一つは開催中止になっていたが、電力供給の余裕が出てきて、夜間のスケート練習は5月後半、再開していた。
震災後しばらく自炊をしていたのだが、塩豚にはまっていた時期でもある。
夏過ぎには自炊もしなくなっちゃったけど。
6月。
走る距離を20kmへ増やした。
体重は56kg台へ。
ようやくお腹もへこんだのだが、実際にはみぞおちの下の方に筋肉が付き、へそ回りが絞まると、筋肉の付き方も変わってしまった。
しかしインラインスケートで滑っていても、体力的な余裕を感じるようになって来ており、走ることの効果を感じていた。
春先のインラインスケートの大会はなかったのだが、スケートを続ける意味を考えていた時期でもある。
体力強化して11月の長良川カップへ、と目的を設定したのは6月だったか。
下期へ。

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