今さらながら知る、アジア通貨危機(1997年)

1985年、プラザ合意によるドル売りによるドル安
円高進行による日本の輸出の増大から、ドル資金の日本への投資(1989年、バブル経済始まり)
1991年、日銀の金利上昇によるバブル崩壊
資金の、タイの製造業投資の急増と、1995年までのタイ経済の急成長
1992年、改革開放政策の推進により設備投資先は中国へ向くようになり、タイ経済の成長停止
1995年、ドル高の進行
1996年、タイの輸出の赤字化
投資家らは経済成長の持続可能性に疑念を持ち始める
1997年5月中旬、ヘッジファンド等の機関投資家によるタイ・バーツの大量の空売り
バーツ防衛のためのタイ中央銀行のバーツ買いの為替介入
1997年7月2日、外貨準備のドル枯渇、タイバーツの対ドルに対する急落、ドルペッグ制から変動相場制(管理フロート制)への移行
通貨の急落、同じくドルペッグ制を採用していたマレーシアやインドネシア、韓国にも波及
IMF(国際通貨基金)や世界銀行、アジア開発銀行等の支援
IMFが課した緊縮財政や高金利政策の結果、これらの国々はマイナス成長に陥り、タイとインドネシアでは政権交代
これらの国々において低インフレによる純輸出の拡大等により、1999年にプラス成長を回復

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