少しづつ定例パターンが回復しつつある…
などと言うことはないな。
しかし午後3時を過ぎれば、問い合わせの電話も減ってきていた。
地震前に、後回しにしていた急ぎじゃない書類仕事をだらだらと。
来週火曜日、朝のミーティングからまた次の動きが出来るかも知れないなー。
と書いていて、取りまとめやるの忘れていたことに気づく。
あちゃー。
記憶ベースでの報告案件は、連休挟むとリセットかかるんだよね。
(え!?
帰り道に立ち寄った近郊のスーパー、コンビニでは、当然トイレットペーパーは売り切れ。
そしてパン類はこの1週間まったく見かけなかった。
まぁ、いいさ。
米はある。
ベーコンを買ってきた。
キャベツ、人参、じゃがいもはある。
明日の朝は米炊いて、味噌汁じゃなくスープにしよう。
月別アーカイブ: 2011年3月
計画停電
写真は道路の向こう側が計画停電で真っ暗になっている様子。
ただいま計画停電中、なのか?
大停電がアナウンスされた今日。
普通に仕事していて、夕方急遽早めに上がろうと言う話になった。
しかしJR神田駅で大混雑が予想されたので、しばらく会社に留まる。
一時間ほど会社にいて、停電は起きず。
ただ自宅の方が計画停電の区域だったこともあり、御徒町で夕飯を済ませた。
夕飯を済ませ、電車に乗る。
ガラガラだった。
地元に降りたって、街が停電していることに驚く。
駅から歩き出し、意外な明るさに気付く。
月が出ている。
こんなにも月が明るかったとは!
そして、停電の街は驚ほど静かだった。
思ったより、悪くない。
例えば、渡良瀬の、あるいは荒川の帰り道。
日が落ちた時の風景。
悪くない。
明るさは全然ないのに、問題なく移動出来ている。
家に着いてもまだ停電だった。
何の準備もしていなかったが、カーテンを開けて、差し込む月明かりでスーツを脱いだ。
なんとかなるもんだな、とか。
しかし、アパートの揚水ポンプも止まっていて、水道は出なかった。
お茶碗、洗えないな。
しばらくして電気が来て、水も使えるようになった。
一安心。
改めて、電気の有り難さを知った。
地震から五日目の水曜日
今感じるのは、微かな不安感と、ちょっとしたストレス。
不安感が強いかな。
工場にて組合の打ち合わせ。
工場の人達がぜんぜん地震の影響を受けていない、少なくとも自分の目から見たら、そう言う印象を受けた。
良くも悪くも。
いたずらに悲観する必要はないが、のんきでいられるのも、ちょっと嫌。
日に日に情報が集まり、そのため先が判らなくなっているのだろう、俺は。
幸い、ゆっくり寝れているけどね。
コンビニによったら棚がガラガラ。
うわ〜。
外は冷たい強い風が吹いている。
なんてことはないのだ。
お腹は満たせるし、寒さも防げるのだから。
しかし、ちょっと疲れてるな。
地震から四日目の火曜日
昨日月曜日で、今日は火曜日。
朝の電車は普通に動いていた。
ただし猛烈な混雑。
隅っこでドアに押し付けられて。
よく絵柄として、窓ガラスにアンバランス両手の平をついて、ほっぺたをつけて顔が歪んでいるような姿が朝のラッシュアワーの風景として描かれることがあるが、今朝の俺がまさにその状態だった。
窓の向こうから見た人がいたら、ちょっと笑顔に出来たかも知れない。
地震から週明けて、昨日の今日。
問い合わせの電話は、昨日はうちの状況だった。
が、今日はちょっと違った。
地震の被害が少しずつ影響が見えてきた。
日本の化学工業は、原材料をどう利用するかで発達してきた…ってのは世界各国共通か。
あそこの被害が、実はそこから原料調達してて、えー、こっちにも影響するの!って。
そんな感じ。
いや、もっと切実なのは、被害にあった同業他社さんの○○を供給出来ないか、と言う問い合わせ。
無理です。
だいたい、売れる分しか作ってないのである。
キャパを超える量は、売れません。
きっとこれからもっと問題が大きくなる。
やれやれだ…
なんて余裕言ってられるのは今のうちか。
しかし一つ良いことも判った。
全員無事!
ただし自宅待機中のため、連絡取れず。
ああ、その話を聞いたから、少し俺も元気になったのか。
帰りも、混んでいたが普通に帰れた。
写真は帰りの駅前の様子。
節電のためかパチンコは閉まり、スーパーも看板の電気を落としている。
写真ではそんなに暗くないけどね。
ギラギラした明るさは嫌いだが、あまり暗いのも、なんだかね。
世の中、変わっていくな。
エネルギーの消費が少ない世界?
経済の発展とやらは基本、如何にエネルギーを使わせるかで発達してきたと思うのだが。
地震明けの月曜日
朝。
写真は、荒川を渡る歩行者の群れが流れが悪いので、遠回りだけどエスケープへ抜けた際のもの。
1時間半歩いて、電車が動いている赤羽まで移動した。
そして埼京線でいったん池袋に出て、山手線で神田に出勤した。
赤羽から京浜東北線、動いてはいたけど乗れなかったよ。
俺のように歩いて埼玉県から荒川を越えていた人が多数いたから。
そして、会社。
大ポカを一つ。
確認不足のなか、曖昧な回答して、結局上司がそれを取り消すまで、半日以上費やさせてしまった。
会社に損失与えちゃった。
減棒でも何でも。
その方が俺の気がすむ。
さて。
地震後、最初のウィークデー、月曜日。
工場の設備は問題なかった。
しかし停電がいつ起こるか判らない、その状況でうちの工場は一週間の操業見送りを決定した。
取引先と、多数の連絡を取る。
製品の在庫はある。
しかし運送業者さんのトラックを走らせるガソリンがなく、モノが届けられないことが判明して来た。
それは、まあ、きっといつか解消する。
今、思うのは連絡の取れない、日立市周辺の人達。
彼らは無事だろう、きっと。
ただ、バタバタしているだけなのだろう。
国道6号が渋滞していて、食糧すら届けられていないとも聞いた。
きっといつかは笑い話。
でも今は、何も出来ず連絡が入るのを待つしか出来ない。