金曜日

少しづつ定例パターンが回復しつつある…
などと言うことはないな。
しかし午後3時を過ぎれば、問い合わせの電話も減ってきていた。
地震前に、後回しにしていた急ぎじゃない書類仕事をだらだらと。
来週火曜日、朝のミーティングからまた次の動きが出来るかも知れないなー。
と書いていて、取りまとめやるの忘れていたことに気づく。
あちゃー。
記憶ベースでの報告案件は、連休挟むとリセットかかるんだよね。
(え!?
帰り道に立ち寄った近郊のスーパー、コンビニでは、当然トイレットペーパーは売り切れ。
そしてパン類はこの1週間まったく見かけなかった。
まぁ、いいさ。
米はある。
ベーコンを買ってきた。
キャベツ、人参、じゃがいもはある。
明日の朝は米炊いて、味噌汁じゃなくスープにしよう。

計画停電

4.56:320:240:0:0:320(W)×240(H) 4.56::1:1::
写真は道路の向こう側が計画停電で真っ暗になっている様子。
ただいま計画停電中、なのか?
大停電がアナウンスされた今日。
普通に仕事していて、夕方急遽早めに上がろうと言う話になった。
しかしJR神田駅で大混雑が予想されたので、しばらく会社に留まる。
一時間ほど会社にいて、停電は起きず。
ただ自宅の方が計画停電の区域だったこともあり、御徒町で夕飯を済ませた。
夕飯を済ませ、電車に乗る。
ガラガラだった。
地元に降りたって、街が停電していることに驚く。
駅から歩き出し、意外な明るさに気付く。
月が出ている。
こんなにも月が明るかったとは!
そして、停電の街は驚ほど静かだった。
思ったより、悪くない。
例えば、渡良瀬の、あるいは荒川の帰り道。
日が落ちた時の風景。
悪くない。
明るさは全然ないのに、問題なく移動出来ている。
家に着いてもまだ停電だった。
何の準備もしていなかったが、カーテンを開けて、差し込む月明かりでスーツを脱いだ。
なんとかなるもんだな、とか。
しかし、アパートの揚水ポンプも止まっていて、水道は出なかった。
お茶碗、洗えないな。
しばらくして電気が来て、水も使えるようになった。
一安心。
改めて、電気の有り難さを知った。

地震から五日目の水曜日

8.16:320:240:0:0:320(W)×240(H) 8.16::1:1::
今感じるのは、微かな不安感と、ちょっとしたストレス。
不安感が強いかな。
工場にて組合の打ち合わせ。
工場の人達がぜんぜん地震の影響を受けていない、少なくとも自分の目から見たら、そう言う印象を受けた。
良くも悪くも。
いたずらに悲観する必要はないが、のんきでいられるのも、ちょっと嫌。
日に日に情報が集まり、そのため先が判らなくなっているのだろう、俺は。
幸い、ゆっくり寝れているけどね。
コンビニによったら棚がガラガラ。
うわ〜。
外は冷たい強い風が吹いている。
なんてことはないのだ。
お腹は満たせるし、寒さも防げるのだから。
しかし、ちょっと疲れてるな。

地震から四日目の火曜日

19.53:400:240:0:0:400(W)×240(H) 19.53::1:1::
昨日月曜日で、今日は火曜日。
朝の電車は普通に動いていた。
ただし猛烈な混雑。
隅っこでドアに押し付けられて。
よく絵柄として、窓ガラスにアンバランス両手の平をついて、ほっぺたをつけて顔が歪んでいるような姿が朝のラッシュアワーの風景として描かれることがあるが、今朝の俺がまさにその状態だった。
窓の向こうから見た人がいたら、ちょっと笑顔に出来たかも知れない。
地震から週明けて、昨日の今日。
問い合わせの電話は、昨日はうちの状況だった。
が、今日はちょっと違った。
地震の被害が少しずつ影響が見えてきた。
日本の化学工業は、原材料をどう利用するかで発達してきた…ってのは世界各国共通か。
あそこの被害が、実はそこから原料調達してて、えー、こっちにも影響するの!って。
そんな感じ。
いや、もっと切実なのは、被害にあった同業他社さんの○○を供給出来ないか、と言う問い合わせ。
無理です。
だいたい、売れる分しか作ってないのである。
キャパを超える量は、売れません。
きっとこれからもっと問題が大きくなる。
やれやれだ…
なんて余裕言ってられるのは今のうちか。
しかし一つ良いことも判った。
全員無事!
ただし自宅待機中のため、連絡取れず。
ああ、その話を聞いたから、少し俺も元気になったのか。
帰りも、混んでいたが普通に帰れた。
写真は帰りの駅前の様子。
節電のためかパチンコは閉まり、スーパーも看板の電気を落としている。
写真ではそんなに暗くないけどね。
ギラギラした明るさは嫌いだが、あまり暗いのも、なんだかね。
世の中、変わっていくな。
エネルギーの消費が少ない世界?
経済の発展とやらは基本、如何にエネルギーを使わせるかで発達してきたと思うのだが。

地震明けの月曜日

14:320:240:0:0:320(W)×240(H) 14::1:1::
朝。
写真は、荒川を渡る歩行者の群れが流れが悪いので、遠回りだけどエスケープへ抜けた際のもの。
1時間半歩いて、電車が動いている赤羽まで移動した。
そして埼京線でいったん池袋に出て、山手線で神田に出勤した。
赤羽から京浜東北線、動いてはいたけど乗れなかったよ。
俺のように歩いて埼玉県から荒川を越えていた人が多数いたから。
そして、会社。
大ポカを一つ。
確認不足のなか、曖昧な回答して、結局上司がそれを取り消すまで、半日以上費やさせてしまった。
会社に損失与えちゃった。
減棒でも何でも。
その方が俺の気がすむ。
さて。
地震後、最初のウィークデー、月曜日。
工場の設備は問題なかった。
しかし停電がいつ起こるか判らない、その状況でうちの工場は一週間の操業見送りを決定した。
取引先と、多数の連絡を取る。
製品の在庫はある。
しかし運送業者さんのトラックを走らせるガソリンがなく、モノが届けられないことが判明して来た。
それは、まあ、きっといつか解消する。
今、思うのは連絡の取れない、日立市周辺の人達。
彼らは無事だろう、きっと。
ただ、バタバタしているだけなのだろう。
国道6号が渋滞していて、食糧すら届けられていないとも聞いた。
きっといつかは笑い話。
でも今は、何も出来ず連絡が入るのを待つしか出来ない。