ゴミがなくなっていた

朝、昨日の夜、繊維類ゴミとして出した服類がごっそりなくなっていた。
90Lの大きなごみ袋で8袋、全部。

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さて、ここで一つ、自分のルール違反。
夜中のゴミ出しは止めましょう。

特に可燃類の生ゴミについては、夜中のうちに出しておくと早朝からカラスがつついてゴミを散らかすので、回収の朝に出す。
が、ペットボトルやビン・缶の類いは前日夜に出すのも多い。

朝、会社行く前の時間はちょっとバタバタし過ぎて。
まあ、それは言い訳なんだけど。
なんだけど、すいません、夜中に出していることもあります。
ゴミが多いときは、ちょっと朝出すってわけにいかなくて。

今回も玄関からゴミ捨て場まで何往復かした。

その衣類が全部、朝無くなっていた。
確かに昨日の夜、ゴミをいじっているおじさんがいた。
てっきりゴミ出しする人なのだろう、同類だなと思っていたのだけど。
あの人か?

着れる服ではある。
自分は着ないだけで。

正直、買って一度も袖を通していない服もありました。
ええ、ええ。
チャレーンジ、と勢いで買ったは良いけど、色が使いこなせない色だったり。
まあ、淡色着るのは無理。

と、そういうのから十数年前の上着から全部押し入れから出てきたものをビニル袋に詰めて出していた。

いや、もう廃棄するから、それがどうなろうと本質的には問題ないのだけど。
持ち帰って、古着屋さんとかに売られるのだろうか。

資源ゴミの持ち帰りってそういうことかー。

本来想定したルートで処分されなかったことに、ちょっと気持ち悪さを覚えた。

やはり夜中のゴミ出し、良くないな。
反省。

20年前の写真

引っ越しの片付けの最中、写真が出てきた20年前の写真。
手に取り、記憶を呼び覚まされた。

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最近でこそ写真を撮ることを趣味とするようになってきたが、20年前には写真は基本的に記録として撮るものであった。
これこそ、まさに記録だな。

その時、誰と、どこで何をしていたのか。
解像度なんて関係なく、ぼんやりした写真なのに、記憶が補完して鮮明になっていく。
凄いな、と思いつつ。

最近はデジタルで写真撮って、撮った写真は基本的にはデジタルのデータのまま、ネットにあげて、SNSで投稿して。
ハードディスクのデータは、いつの日か、例えば20年後に見ることはあるのだろうか。

たまたま。
押入れの奥に放り込まれていた写真、紙の写真。
引っ越しの作業という中でなければ決して出てこなかった、そもそも、その存在を自分が忘れていた。

これはデジタルデータでは無理だろうな。

フィルムのカメラはどんどん衰退したが、世界中で、スマホの普及で、一日に撮られる写真は数年前と比べて指数級的な増加をしているらしい。
Instagram、Flickr、Facebook、 Google +、そしてmixi。
たくさんの画像データが生まれている。

だが果たしてそのデータはいつかかえり見られることはあるのだろうか。

無い。
自分自身が、スマホで昨日撮った写真すら見ないのだ。
誰かが片付けの最中に発見することもない。
ハードウェアの故障で、サービスの停止で失われて、写真があったことすら判らなくなる。

だからと言って、写真は紙焼きしましょう、とは思わないけど。

世界は変わっていく。
そういうことなのだ。