2003年もぼちぼち終わりか。
今年も、なんだかいろいろあったな。
過ぎてしまった今では、当り前になってしまったこともあるが。
年明けから、3月末。
前年、仕事中に負った額と右まぶたの上の火傷はまだ目立っていた。
人と話すのに、顔を見られたくなかった。
それは5月頃になって、多少日焼けして、
目立たなくなって、ようやく解消した。
スキーシーズン終えて、妹の結婚式。
大丈夫だろうか、とこっちが心配していた。
その前の週から道満へ参加。
そこから後は道満の記憶が濃い。
と、言うより仕事がどうしたとか、
あんまり覚えていない。
祖父が入院し、梅雨が終わり、夏が開けるころに、
親父が倒れ、母が交通事故を起こした。
この頃、もしかしてうちって呪われてる?
とか、ちょこっとまじで考えた。
結局祖父は9月に他界し、
今年二度目の礼服は祖父のために着ることとなった。
最後まで、叔父や母の、
そして孫である俺たちの幸福を願い、
自身は何も望まなかった祖父。
母は、もう少し遊ばせてやりたかった、
温泉とかつれて行きたかった、と悲しんだ。
俺は、何もできなかった。
何もしなかった。
年に数回実家に帰った時、
ほんの数時間祖父と話をして、また戻って来てしまっていた。
もし、祖父と共に土を耕し、海に通って生きていたなら、
それが最高の恩返しであったのだろうが。
10月光ヶ丘、そして11月幕張とインラインスケート関係のイベント。
10月の光が丘はインラインをやって来て、
初めてのイベント参加であった。
思い知る、自身のイベント弱さ。
意識は真っ白になり、何をやったかすらまともに覚えちゃいない。
後で、そのときの映像を見て、
その余りのひどさに自分の実力を思い知る。
そしてイベントに強くなりたいと思う。
そのことが、折しも持ちあがった、11月の幕張への参加を決めさせた。
11月、幕張。
ルーチン、と言うものの必要性を実感した。
繰り返し練習した事しか、緊張する場面では出せない。
その時には自分のルーチンなんて、形になってなかった。
甘さを思い知る。
そして、もっとインラインスケートに付いて、
滑べることに付いて、より多くの時間を割いて考えるようになった。
12月。
考えが煮詰まって来て、
段々滑べることから逃げ出したくなって来ていた。
でも止めなかった。
自分が出会った多くの人達と、
これからも係わっていたい、と言う気持が強くなった。
来年はもっと多くの人と出会うことだろう。
中にはお別れを言う人が出て来るのかもしれない。
それでも俺は、もっと沢山の人と出会いたい、話がしたいと思う。
いい年にしよう。
12月28日
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