多分逃げる

ロボットの“運動神経”がコンシューマ機器にも
記事の内容はわりとどうでも良くて。
この写真。

夢に出て来そう
もうちょっとデザイン考えようよ。

ちょっとモンスターっぽい。
こんなのが向うから歩いて来たら、多分逃げる。
アシモが結構好意的に扱われてるのだって、
あのデザインがあるように思うのは俺だけだろうか。
あの顔の部分の黒いところ。
アシモのあの置くには確かレンズがあるんだが。
あれがむき出しだったら、
それほどもてはやされなかったんじゃないだろうか。
そこら辺はさすがにホンダか。
企業ベースの方が、きちんとした、
人に近い、いわゆる余分な要素を含んだ、
遊び心のあるもが産み出せるのかも知れない。
研究所って、何だか凄いけど。
ちょっと世間からずれてるよねーって。
この写真見て思う。

幕張カップ申し込み

コンビニにファクスって置いてなくなっちゃったんだ。
知らなかった。
ファックスは、個人で持とうとは全然思わない代物だ。
実家にはあるんだけど。
一体どれだけの使用頻度があるんだろう。
固定電話回線だって、
ぼちぼち要らないんじゃないのって言う感じが強くなって来た。
モデムでダイヤルアップしていたときには必須だったのに。
自分が必要とするものがデジタル化して来ている。
取りあえず用が足りる。
元に戻って。
幕張で行なわれる、
インラインスケートの大会の申し込みをして来た。
申込用紙を会社で印刷して、
会社で記入して、
仕事終った後に郵便局行って。
郵便振替をATMから現金で行なった。
ここまでは問題ない、かな。
今度は申込用紙を送らなきゃいけない。
最初は郵便で送ろうと思っていたけど、ファックスでいいやと思い直す。
で、そのファックスが無い。
コンビニ二つを回って。
どちらも余りメジャーじゃない、
要するにセブンイレブンでもローソンでもファミリーマートでもなかったんだけど。
ファックスサービスはやってなかった。
そう言えばいつも行くローソンでもファックスは見たこと無い。
随分昔、大学時代、
ファックスをローソンから送った覚えはあるんだけど。
無くなっちゃったんだ。
二つ回った時点で諦めて会社に戻る。
誰もいない研究開発部控室、
そーっとコピーファックス複合機からファックスを送信する。
出来ればこれ使いたくなかった。
履歴残っちゃうんだよね。当たり前だけど。
バレなきゃいいか。
会社の電話回線を私的利用、だな。
どうせならネット上でいろいろ記入できるようにしておいてくれれば、
良かったのに。
今時紙に記入するなんて。
まぁ、良い。
申し込みはした。
トラブってなければ、手続きは出来ているんだろう。
後は俺の準備。
そっちが最大の問題なのだが。
結果は考えない。望むだけ無理。
今回は”1500円払って、人前で滑べる練習をしに行く”、
と言うことで。
この機会を逃せば、また春まで、
あるいはもっと先までそう言う機会は無さそうだから。
これも練習。
そもそも何ヶ月も練習して来た人が、
自信持って出て来るような大会だろうから。
せいぜい半年程度の俺がどうこうしても無理。
取りあえずは経験値稼ぎだけでも。
さて。
行くぞ、幕張カップ!

スタイル、技術、コミュニケーション、そして成長

スタイル、技術、コミュニケーション、そして成長。
と言うことをまとめてみようとしていながら。
まとまらない。
なんとなくひっかかってるので、メモ的に。
そもそもスタイルとは何かってのが問題だった。
“ライフスタイル“なんて言葉を使う。
“自分流のライフスタイルをエンジョイして”。
何だそりゃ?
スタイル。
やり方や様式と言う言葉に置き換えてみる。
ちょっと違うかな。
人とは違う、自分らしいやり方。
なんとなく判るような、気もする。
が、やはりよくよく考えれば、
俺もいろいろなことに対してスタイルを持つ。
例えば仕事の進め方。
先ず情報を集める。
徹底的にはやらない。
思いつけばそこまで、だったりする。
そして優先的にやることは手を動かすこと。
結果が出て来る。使えるか、使えないか、そこで判断できる。
考える。条件を変える。再び手を動かす。
思いつくだけのことをやって出来なければ、
そこで情報を集めることに戻る。
人によっては最初に徹底的に情報を、文献を調べる人もいる。
最近では、あることがらに付いて、
既に存在するデータベースから,
簡単に文献の情報をリスト化して得ることが出来る。
俺自身はそう言うことを全くやらなくなった。
しかし俺に情報を集める能力、
技術が無いかと言えば、そう言うわけではない。
その能力があってもそこに掛ける時間がどれだけ意味があるのか。
それだったら手を動かした方が早い。
では情報を集める能力が無い、もしくは弱い人であったなら。
技術が無くては、どうしようもない。
手を動かす以外に無いだろう。
もっともそれは教科書的な事柄であれば、対して問題にはならないのだろうが。
多くの場合、教科書に乗ってる情報では間に合わないことがある。
技術が無いと言うこと。
それもまたスタイルを律して来る。
いや、それはスタイルと呼べるか?
単に出来ないことを出来ないと、
ほうって置いて見向きしていないだけではないだろうか。
できない。
どうしたら良い?
人に聞けば良い。
教えを請えば良い。
教えるのが嫌いな人もいる。
俺もそうだったりするのだが。
でも話してもらえば、教えるのはやぶさかではない。
まず、聞いてもらえれば。
違うな。
困ってるようだったら、こっちから話しかければ良い。
”それ、こんなやり方があるよ”。
”いや、そう言うやり方があっても、これが俺のスタイルだから。”
うーん。
そこで話が終ってしまう。
出来ないことを出来ないとして放置して置くことを、俺は好まない。
そもそもその人がそれが出来ないことであるかどうか、
それが問題なんだが。
仮に出来ないとして、
それをやらなくても自分のスタイルだから、問題ない。
まぁ、俺に問題があるわけではないんだけど。
何か煮え切らない。
出来ないことを放置することを好まない、
それは俺のスタイルであるのだろうと思う。
そしてスタイルを延ばすと言うことが、
成長することであるとしたら、出来ないことを無くそうと言うことが、
俺のスタイルであったのだろうと思う。
そして出来ないことをそのままにしておく人を、
何か違うな、と思うのだ。
言いかえるならば、
明らかに技術的に優れている人が、
こういうことをこういう風にやる、
それは自分のスタイルである、
それは説得力がある。
えーと、まとまらないので、この辺で。

先週の土曜日のこと

いまさらながら、土曜日の話。
遊びに来た母に付き合って、正確には付き合わされて、恵比須に行く。
恵比須ガーデンプレース。
そもそもそこが目的地であるとは知らなかった。
“恵比須でやってる写真展に連れて行け“。
駅で合流して、始めて目的地を教えられた。
取りあえず、携帯のiモードで、母の覚えていた“東京都“、
“写真“、“美術館“を探す。
あるらしい。どこだか判らない。
こんな小さな画面でちんたら見ていられるか!
恵比須まで移動し、駅前の本屋さんに入る。
立ち読み。情報見つからず。
妹に電話し、パソコンから検索してもらい、
ようやくそれが恵比須ガーデンプレース内であることが判った。
写真展には全く興味なし。
母と待ち合わせの時間を決め、そこらをぶら付くことにした。
街、知らない街を目的もなくブラ付く。
昔は随分そうしていたような気がする。
昔、随分、昔。
まだ上京して来たばっかりの頃。
暇だったんだな。
今でも嫌いではない。暇ならば。
休日と言えば、
公園にインラインスケートを滑べりに行くようになってからは、
そんな時間を過ごすことは無くなってしまったのだが。
ガーデンプレースの中。
三越とか、見てもなぁ。
後はレストラン街、それにビール。

ガーデンプレース
何か居心地悪い。

駅の方へ向かう。
駅ビルの中を昇って、また降りて。
つまらない。
建物を出て、商店街の方へ歩きだす。
人込みにやや疲労感。
裏路地を歩いて行くと坂に出る。
周囲の家並みの御洒落なこと。
さすがだな。
再び駅に戻り、今度は反対側へ。
こちらはやや寂れた感じ?
ファーストフードもない側を歩く。
ちょっと歩いて、ちょっとした公園状の所にたどり着く。
やっと一息着く。
何だか滑べりやすそうなところ。
見まわすと看板が、“スケートボード、ローラースケート等禁止“。
そりゃそうだな。

公園内
いい感じでの台座

一服。
携帯灰皿は持ってた。
やや日蔭のそこは見渡せば、他にも小休止の人達が数人。
歩きだす。
ガーデンプレースの方へ向かったが、まだ待ち合わせ時間までは少しある。
地図を見て、ガーデンプレースを抜けたところに公園を発見する。
公園。再び一息。
妙に居場所の無さを感じる。
人込みも煩わしい。
やれやれ。
歳だな。

それも違う気がする

iSeePet
たしかに、ペットがいるから旅行できない、
とか言うような飼主には向いているんだろうな。
何だかなぁ。
それなら犬、に限らずペットとか飼わなければ良いじゃん。
エサさえ与えておけば死ぬことは無い。
何かあったとしても、
出先でパソコンさえあれば姿が見れるから、安心。
それならアイボでも飼ってれば良いのに。
自分の都合の良いときだけ電源が入れられるだろう。
人間が仮に独房に入っていたとしても、
食事のときには、人間が食事を運んでくれるだろうに。
ペットだって、食事だけで生きているわけじゃない、
人と、飼主と触れ合って、それが幸せなんじゃないか。
ペットに生活を合わせなくて済む。
それならペット飼うなよ。
もし仮に、
どこにも動くことは出来ないんだけど、食事だけはどこからか出て来る、
そんな暮らしを強いられたとしたら。
人間は不孝だ、と書こうと思いつつ、ふと思いあたる。
“引きこもり“の人にとってはそれが幸せなんだろうか。
対人恐怖症の人とか。
あー。