いよいよ本格化?
ふと思うんだけど。
原料のメタノールはどうするんだ?
市販?コンビニで?
それも怖いなぁ。
メタノールってどうやって作るんだっけ?
一酸化炭素と水素から、だったかな?
反応そのものは熱的な触媒反応だと思うんだけど。
原料の水素って電気分解じゃなかったかな?
電気を使った原料で電気を生むという。
うーん。
あ、メタンガスと水からもメタノールは作れるのか。
いずれにせよ化石燃料依存のエネルギー体系は変わらないよね。
そもそも主力になるようなエネルギーシステム構築が目的じゃないだろうって。
21世紀なんだけどな。
月別アーカイブ: 2003年10月
初冠雪か
ついこの間までは残暑。
間を置くこと無く初冠雪のニュース。
あぁ、季節が流れる。
雪、か。
俺だってピクッとなるんだから、
もうすっかり我慢できなくなっちゃってる人、多いんだろうな。
思わず体動かしたくなっちゃって、
なんとなく聞いたことのあるインラインスケート買って、とか。
いや、さすがにまだ早いか。
それでも一度ピクッてなったものは、脈々と大きくなって。
あー、でも、俺のスタートは、例年は年明け。
正月休み、かな。いつもなら。
今年はどうなることやら。
去年のスキー仲間で、今独身なのは俺ともう二人。
今年はどうなることやら。
上越国際スキー場。
チャンピオンコース。
下の斜面は見えない。
三連休、最終日、体には疲れが出ている。
リフトが動きだして、まだ二本目くらいだったと思う。
いきなり、チャンピオンコース。
先に村山が行って、あっと言う間に見えなくなった。次に見えたときにはもう中盤。
速っ。
置いてかれるなぁ、と思い、滑り出す。
昨日は何とか降りた。
途中エスケープしたけど。
が、体は動かなかった。
165センチ、イージーカーブの板。
もてあます。
たちまちこぶに乗り上げる。
何度かくり返す。
その何度目か。
左脚だけがスルスルと進んで、
ブチブチッと音が聞こえた。
そして激痛。
暫く動けなかった。
板を外し、リフトの下のこぶの無いところをずり落ちて、下まで行った。
今でも時々、関節が開くのを感じて、ヤバいヤバいと思う。
関節のすき間が開く感じ。
完治はしなかった。
そもそも医者にちゃんと行かなかったのだけど。
取りあえず歩くことは出来たので、そのまま家に帰り、翌日からは普通の生活。
当初こそびっこを引いていたものの、たいしたこと無いと思っていた。
歩いている分、には。
サッカーを遊びでやろう、と言う話になった。
その年の5月くらい。
試合開始、キックオフ。
右ウィングから走り込んでパスを受けようとして、
左脚に体重がかかって。
再発。
その日のうちに医者に行った。
暫くは真面目に行っていたが、一ヶ月、毎日行ってるうちに、ふと、止めてしまった。
毎日行って電気治療。効果は判らなかったから。
ただ判ったことは、見事に痩せ細った左脚が、もう二度と何も出来ないって事だった。
その夏はずっとプールに通ったのを覚えている。
夕方、抜け出して2時間泳いで、戻って来て又続きを。
それでもぐらぐら感はおさまらなかった。
左手に荷物を持つと、そのまま左脚がクラッとなった。
次の冬、怖くてこぶ斜面には入れなかった。
一度はスキーを止めようと、本当に思っていた。
それから、
色々。
今、右脚と同じ太さになった左脚は、それでも疲れて来ると時々痛み出す。
それでも、それでも。
今年こそはあの斜面にリベンジしたい。
あー、早く雪降んないかな。
続・夕飯はサンマ
今日の夕飯は昨日作ったサンマの煮付けを。
味がしみて辛くなったかな、とか、
固くなっちゃったかな、とか、
そういうこと全然なし。
あたため直したら身のふっくら感は焼いたときとおんなじ。
大変美味しく頂きました。
東浦和の駅から歩いて5分くらいのところに、
回転する百円寿司の“小樽“が有る。
ここ、“小樽“になる前は中華系のファミリーレストランで、
そりゃぁもう閑古鳥鳴きまくりだったのだが。
小樽になってからは大繁昌している。
土日の夕食時間時にもなれば、紙に名前と人数書いても、
2,30分は待たされる。
しかも待ってる間にもどんどん人が入って来るから。
百円寿司ってのは偉大だ。
偉大だけど、味は値段相応。
が、回っている皿の中で企画モノ、季節の何とか、とかは結構まあまあ。
とくに定常品じゃない、イカとかタコは結構好きかも。
何とか産、って言うようなイカやタコ。
そして必ず食べるのが鰯だったのだが。
鰯好きである。
寿司ネタの中でも、特に。
まだ若かりし頃。
ちょっと気取って回らないお寿司屋に入ったことが有る。
デードだったんで、ちょこっと頑張ったのだけど。
何品目かで鰯を頼んだ俺を、そのときの彼女はちょっと笑った。
いいじゃん、好きなんだから。
食べ馴れているんだろうか。
子どもの頃は、祖父や父がかけた網にかかって来て、
しょっちゅう食べていた覚えが有る。
つみれ、とか手のこんだ料理にしなくても。
それこそ煮付けだったり、干物だったり。
あの頃は魚食べない日が無かったなぁ。
随分と昔、毎日のように祖父や父が網をかけていた頃。
下宿するようになってから、さてどのくらい鰯を食べているだろうか。
食べないうちに値段が高くなってしまっていたらしい。
もっともサンマが安くなってるのに気がつかなかった俺。
知らなくても当然なのか。
一つ気になるのは。
やはり今でも“小樽“では鰯は百円で回っているのか、と言うこと。
全然無かったりして。
確かめてみたい気もする、だけど無かったら。
どうしよう?