引っ越しの片付けの最中、写真が出てきた20年前の写真。
手に取り、記憶を呼び覚まされた。
最近でこそ写真を撮ることを趣味とするようになってきたが、20年前には写真は基本的に記録として撮るものであった。
これこそ、まさに記録だな。
その時、誰と、どこで何をしていたのか。
解像度なんて関係なく、ぼんやりした写真なのに、記憶が補完して鮮明になっていく。
凄いな、と思いつつ。
最近はデジタルで写真撮って、撮った写真は基本的にはデジタルのデータのまま、ネットにあげて、SNSで投稿して。
ハードディスクのデータは、いつの日か、例えば20年後に見ることはあるのだろうか。
たまたま。
押入れの奥に放り込まれていた写真、紙の写真。
引っ越しの作業という中でなければ決して出てこなかった、そもそも、その存在を自分が忘れていた。
これはデジタルデータでは無理だろうな。
フィルムのカメラはどんどん衰退したが、世界中で、スマホの普及で、一日に撮られる写真は数年前と比べて指数級的な増加をしているらしい。
Instagram、Flickr、Facebook、 Google +、そしてmixi。
たくさんの画像データが生まれている。
だが果たしてそのデータはいつかかえり見られることはあるのだろうか。
無い。
自分自身が、スマホで昨日撮った写真すら見ないのだ。
誰かが片付けの最中に発見することもない。
ハードウェアの故障で、サービスの停止で失われて、写真があったことすら判らなくなる。
だからと言って、写真は紙焼きしましょう、とは思わないけど。
世界は変わっていく。
そういうことなのだ。