実家帰省

昨日土曜日の夕方、実家に帰ってきていた。
夕飯はアジの刺し身、南蛮漬け、メバルの煮付け。
地元の魚。

アジが実に新鮮で身の締りが良かった。

今日のお昼にはもっと小ぶりなアジを煮付けで。
間引きした大根の若菜とサバの水煮の炒め煮。

そしてご飯、お米が美味い。
新米か。
つやつやだな。

午後には雨が上がったので父と一緒に畑に。
来年春向けに、なでしこを植え付ける、その土を耕うん機で起こす。

夕飯は食べずに東京への電車に乗った。

今回は写真撮ってる間がなく。

秋の始まりの風景が、西日の中にキラキラと。
そして海は水温の冷たさを感じる鈍い青色だった。

ま、まただな。

物語タイの歴史

読了。

ここしばらくの読書は、
司馬遼太郎 韃靼疾風録、
遠藤周作 王国への道 山田長政、
そして、
羽田 正 東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史)

とアジアの16世紀くらいからを中心に本を読んでいた。
そして読んだのが、9世紀からのタイの歴史についてのこの本。

もちろん歴史書なんではあるのだけど。

大学のセンター試験に選んだのは、世界史だった。
ただ、当時習った歴史はヨーロッパの中世から始まり、大航海時代から植民地支配、市民革命、アメリカの建国、三国史から日清戦争までの中国史、第一次そして第二次の世界大戦。

東南アジア地域は、植民地としてプランテーションなど話題が出るだけでほとんど触れられて無かった。

アジアで他の民族に植民地化されたことがないのは、日本とタイのみと言うことは知らなかった。
そして改めて、親日と言う言葉の背景を知った。

そんな、あれこれ。

タイの歴史とは何かと言うところだが。
ある土地を誰が支配していたか、という点では、厳密にはクメール王朝の支配時代が12世紀頃まである。
が、タイの民族としての歴史は9世紀くらいから。

稲作農家の集まる地域に豪族が生まれ、その豪族が王と緩やかな協力関係でまとまった国。

タイ北部、チェンライからチェンマイのラーンナー王国は12世紀頃から1600年頃まで。
その北にはミャンマーが出来つつあり、やがてタイの方まで進出して何度も武力衝突していた。

クメール王朝衰退後、タイ北部スコータイ、ロップリー等の都市を中心にし、1240年頃に成立したスコータイ王朝。

1351年に始まるアユタヤ王朝は、スコータイ王朝を吸収しタイ全土から、マレーシア半島の半分まで支配地域にする。

このアユタヤ王朝の首都、アユタヤには後半の16世紀には日本人や中国人はもちろん、フランス人やオランダ人もチャオプラヤー川を遡行して来訪し国際都市が出来ていた。
この時代から米の輸出国となり、インドなど西側からの産物と中国など東からの物流の中継点として栄えた。

が、やがてビルマ軍が侵攻して、1767年に首都アユタヤは破壊され、アユタヤ王朝は衰退。

今のバンコクの、チャオプラヤー川の西側に1768年にタークシンが建国したトンブリー王朝がビルマを追い出した。

しかし、中国人の血筋のタークシンはタイ王朝の血筋をひいてないためか、精神的に不安定になり、クーデターで倒された。

タークシンを討伐した、旧アユタヤ王朝の血縁でもあるチャクリーがチャクリー王朝を1782年に建国、バンコクを首都としてラーマ1世となり、そして現在へ至る。

現在はラーマ10世。
そして先代のラーマ9世の命日が2016年10月13日。

その後のラーマ4世が王様と私のモデルだったりするが、近代化してアジアの植民地化の流れの中、イギリスやフランスと渡りあって、国内に鉄道をひいて、世界大戦があって、立憲君主制に移行して、と。

先に4回のタイ旅行では歴史の舞台となった街を訪れていた。

日本は平地が狭く山と海に挟まれている。
タイはバンコクから北部のチェンマイまで、海からずっと平地が広がりそのまま地続きでミャンマーやラオスに連なる。

文化の差異を改めて歴史面から知る事のできた本ではあったが、何より歴史物語として面白かった。

走ってました

日暮里から尾竹橋通り沿いに竹ノ塚まで往復、20km、2時間11分。

土曜日のスプリント、静止状態から一気に筋肉全開にする動き。
なかなか筋肉に負荷をかけたらしく、日曜日は筋肉痛だった。
それでも日曜日は体をほぐすのも兼ねて走った。
月曜日には、また筋肉痛。

そして月曜日にスタート錬。
静止状態から一気に全開にしてダダダっと。
数回やって、左足太もも内側の筋肉に痛みが出てしまった。

筋肉の痛みがちょっとアレな痛みなので、水曜日も体を休め、木曜日。
ようやく回復。

夕方、日暮里斉藤湯からの走り出し。

夕方6時半の走り出し。

昼間は25℃くらい。
湿度は高く、多少蒸し暑さを感じた。
夕方の気温もそう下がらず23℃くらいだった。
10月も三分の一過ぎたのだけど。

ペースはそう出ず。
ベアフットシューズでもあったけど、筋肉痛がまだ残っていた。

戻った斉藤湯で冷水風呂を挟み、あれこれお湯に浸かる。
気付けば、ふくらはぎに攣りが出ていた。

本日の体重、57.8kg

夕飯は日暮里駅近く、台湾料理府城にて。

パイナップルビールの後、知多のハイボール。

干し豆腐サラダ、パクチー肉味噌、台湾鶏排。

知多のハイボールに鶏の唐揚げ。
美味い。

良いお酒だった。

教習所錬

月曜日定例、スピードインラインスケート、チーム練習は教習所こと、松戸中央自動車学校にて。

昼間の気温は25℃。
練習開始の夜7じには22℃くらいだったろうか。
涼しいから500mlのミネラルウォーターのペットボトル、一本のつもりだったが結果的にはもう一本あっても良かったな。

アップ、20分間。
久しぶりに数名のスケーターが練習に参加していた日。
久しぶりにパック組んで滑っていた。

ペースはほとんど上がらなかったけど。

練習は少しスピード出して。
ビルドアップな4周。
34秒台で。

しかし二本目には最後の一周が36秒まで落ちてしまった。

その後はスタート錬。

土曜日のスプリントレースの筋肉痛が残っていた。
一気に全開に上げるのは、負荷が強いのだって。

スタート錬で、左足の太もも内股の筋肉がビシッと来たので、もう全開にはせず。
肉離れになるよ。

夕飯は松戸駅近く、翔軼屋にて。
生ビールの焼き餃子セット、更に焼酎ハイボール。

この焼き餃子、中にしっかりとスープがあった。

ラーメンはスペシャル釜玉ラーメン。

美味いな。
美味い。

ここはラーメンのバリエーションか多すぎて、何を頼むのか迷う、
なかなか楽しい。

さて、明日も筋肉痛かな?

写真撮ってました

赤羽にて。

午後2時から午後4時半まで。
曇り後、晴れ。

持って行ったのはα7にOlympus PEN F. Zuiko 38mm f1.8。

Zorki-4にJupiter-8 50mm f2をつけて、フィルムはモノクロ、Oriental New Seagull iso 100。

筋肉痛が残っていて、あまり動きたくない。
と言うことで軽量にとかんがえて、小さいレンズ、小さいカメラとなる。

撮影も近場で。
が、赤羽の昔ながらの市街地は可なり迷路だった。
整備された新しい市街地と区画が混在するのはなかなか独特。

何の気もなしに歩いていたが、セイタカアワダチソウが咲いてるのを見て、秋の風景を意図させられた。

猫もモフれた。
満足。