読了。
ここしばらくの読書は、
司馬遼太郎 韃靼疾風録、
遠藤周作 王国への道 山田長政、
そして、
羽田 正 東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史)
とアジアの16世紀くらいからを中心に本を読んでいた。
そして読んだのが、9世紀からのタイの歴史についてのこの本。
もちろん歴史書なんではあるのだけど。
大学のセンター試験に選んだのは、世界史だった。
ただ、当時習った歴史はヨーロッパの中世から始まり、大航海時代から植民地支配、市民革命、アメリカの建国、三国史から日清戦争までの中国史、第一次そして第二次の世界大戦。
東南アジア地域は、植民地としてプランテーションなど話題が出るだけでほとんど触れられて無かった。
アジアで他の民族に植民地化されたことがないのは、日本とタイのみと言うことは知らなかった。
そして改めて、親日と言う言葉の背景を知った。
そんな、あれこれ。
タイの歴史とは何かと言うところだが。
ある土地を誰が支配していたか、という点では、厳密にはクメール王朝の支配時代が12世紀頃まである。
が、タイの民族としての歴史は9世紀くらいから。
稲作農家の集まる地域に豪族が生まれ、その豪族が王と緩やかな協力関係でまとまった国。
タイ北部、チェンライからチェンマイのラーンナー王国は12世紀頃から1600年頃まで。
その北にはミャンマーが出来つつあり、やがてタイの方まで進出して何度も武力衝突していた。
クメール王朝衰退後、タイ北部スコータイ、ロップリー等の都市を中心にし、1240年頃に成立したスコータイ王朝。
1351年に始まるアユタヤ王朝は、スコータイ王朝を吸収しタイ全土から、マレーシア半島の半分まで支配地域にする。
このアユタヤ王朝の首都、アユタヤには後半の16世紀には日本人や中国人はもちろん、フランス人やオランダ人もチャオプラヤー川を遡行して来訪し国際都市が出来ていた。
この時代から米の輸出国となり、インドなど西側からの産物と中国など東からの物流の中継点として栄えた。
が、やがてビルマ軍が侵攻して、1767年に首都アユタヤは破壊され、アユタヤ王朝は衰退。
今のバンコクの、チャオプラヤー川の西側に1768年にタークシンが建国したトンブリー王朝がビルマを追い出した。
しかし、中国人の血筋のタークシンはタイ王朝の血筋をひいてないためか、精神的に不安定になり、クーデターで倒された。
タークシンを討伐した、旧アユタヤ王朝の血縁でもあるチャクリーがチャクリー王朝を1782年に建国、バンコクを首都としてラーマ1世となり、そして現在へ至る。
現在はラーマ10世。
そして先代のラーマ9世の命日が2016年10月13日。
その後のラーマ4世が王様と私のモデルだったりするが、近代化してアジアの植民地化の流れの中、イギリスやフランスと渡りあって、国内に鉄道をひいて、世界大戦があって、立憲君主制に移行して、と。
先に4回のタイ旅行では歴史の舞台となった街を訪れていた。
日本は平地が狭く山と海に挟まれている。
タイはバンコクから北部のチェンマイまで、海からずっと平地が広がりそのまま地続きでミャンマーやラオスに連なる。
文化の差異を改めて歴史面から知る事のできた本ではあったが、何より歴史物語として面白かった。