走ってました

川口から赤羽、20.2km、1時間52分。

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写真は判りにくいけど、板橋シティマラソンの準備がらしい荒川河川敷のテント。 春の陽気の中、半袖上下姿で軽く汗ばみながら。 日曜日の千葉市民大会アイススケートの部に参加して右ももに痛みを感じていたのだが、続く月曜日もアイススケート練習で無理してしまっていた。 階段の昇り降りに困難を感じていたのだが、火曜日休んで今朝は疲労感も無く。 さてと、と走りに行った。 ペースはゆるっと。 気持ち良く足が動く。 週末の古河はなももを考えると、こんなものかな? 明日もうちょっと流して、カーボローディングに持っていこう。

東大駒場キャンパス

かつて、東大の生産技術研究所と言うところで学生をやっていた。

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学歴の上で、履歴書に書けるのは日大理工で修士過程まで、千葉大工学部にて博士課程とその後の研究員時代までなのだが。

大学4年から修士2年まで、実際に自分が実験をしていたのは、当時六本木にあった東大生産技術研究所であった。

そこを離れて16年?
ずっと、近寄ることはなかった。
記念パーティーとか、それこそ生産技術研究所移転で最後の会合なんてのも出席してこなかった。

今日もずいぶん迷ったのではあるが。

当時お世話になった教授の最終講義と言うことで、久しぶりにアカデミィアの地に足を踏み入れることになった。
千葉大の方も卒業後には立ち入った事はない。
何とは無しに近づこうとしてこなかった。

そんなことも思いつつ、拝聴した最終講義。
自分が離れた後の、最近10年間のほどの研究内容に思わず唸る。
化学はここまで来ていたのか!?

自分が化学系の製造業の研究職をしていたこともあるが。
世界が足踏みしていると感じていたのは、単に情報収集を怠っていた俺の怠慢に過ぎなかった。

もちろん、当時の同級生や先輩後輩の方々に挨拶出来た事も大きい。
そして、かつて若く未熟だった自分を思い返したことも。

それもある。
が、10年と言う時間の進歩はただただ驚嘆させられた。

まあ。
日本の産業界は、この10年どれだけ進歩したのかと、ね。
研究の世界と日常と。

そのギャップを、営業職なら埋められる、そんなことを考えたはずなのに。
今、改めて。

良い一日になった。

2月23日川口から上野その3

川口から中山道を経て本郷通りから上野公園まで。
折り返して王子、赤羽と戻ってきたカメラ・ランの際の写真。

Nikon NIKKOR 35mm f2.0
RAW現像

上野恩寵公園から谷中へ抜ける。

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RAWで彩度いじって、さらにトリミング。
左手の座っている女性にピントを合わせていたつもりだったけど、あってなかった。

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RAW現像。
ホワイトバランス、彩度いじる。
上手く使いこなせてないな、RAW現像。
Ubuntu linux 12.10にて、RAW Therapee使用。
Windows環境のほうがいいのだろうか。

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アイススケート練

月曜日のスピードスケート練習は江戸川スポーツランド内、アイススケートリンクにて。

ようやく、マイ・ブレードが届いた。
いや、実際には昨日もマイ・ブレードで滑っていたのですが。
本来のマイブーツ、熱整形で足に合わせてあるマイブーツで滑るのは今日が最初である。

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これまでは借りていたのだけど。
全然違う。

今までちょっと小さくかったこともあったのだけど。
チョー快適。
インラインスケートと同じように、自分の立ち位置が判る。

やはりマイブーツ偉大だわ。

そして練習は、凄い判りやすかった。

ショートトラックの直線部分での片足に乗って滑ること。
右足、左足と片足毎乗り切る。
コーナーでは左足で奥まで押す。

リンクでの滑りでやるべきこと。
なるほど。

その指導をしてくれた方は、遅れてきたので詳細は聞けなかったのだが、たまたまいたのかな?

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マイブーツ、マイブレード、そしてきちんとした練習。
もう少し滑りたかった。

さて。
定期的なアイス練習はこれで終了である。
春の特別編ではあったのだけど。
マイブレード届いたばかりですが。

まぁ、またね。