チェンライからタチレクにまっすぐ伸びる大きな道路から、チエンセーン方向へ曲がってしばらく。
チエンセーンの市街を取り囲む塀の、入り口に当たるところの内側すぐにパサック歴史公園がある。
メイン道路への出入口ながら、幅が狭いためか、通る車がクラクションを鳴らしながら通過していた。
チエンセーン。
ラーンナー王朝の始祖、マンラーイの最初に即位した街。
その後、ラーンナー王朝はチェンライ、チェンマイと首都を移転していったが、この街チエンセーンは北の元の侵攻を防ぐ城塞都市だったのだとか。
深い堀と壁で囲まれたチエンセーン。
堀も壁も昔ながらに残されていた。
ほとんどメンテされてない様子ではあったけど、耐久性の高いレンガ建築とほとんど地震の無い土地のためか、おそらく数百年変わらず、壁と堀が残っているのだろう。
ランナー王朝の初代王メンライの孫・セーンプー王によって1295年に建立された寺院。
チエンセーンの街もまたアユタヤなどど同様に破壊されている。
しかし、これは現在に続くバンコク王朝、チャクリー朝の初代ラーマ1世の手によるもの。
ラーマ1世が奪われていたアユタヤからミャンマーを追い出した後、当時ミャンマーの属国だったこの街をミャンマーに利用されないために破壊したのだとか。
その後、改めて開発されて、タイに編入されて今に至るのだろう。
そんな歴史はありながら。
観光客は自分だけ。
参観料は50バーツ。
柵もなく手で触れられる距離まで近付けた。
ここは破壊を免れたのだとか。
敷かれたレンガの隙間から伸びた草で、歩道部分も歩き難かった。
静かな、歴史ある場所を独占していた。