読了。
この、文明の海洋史観とは1997年に発行されたが、主題は1967年に発行された文明の生態史観の再構築だった。
それだけ、文明の生態史観が革新的な発想だったのだろう。
文明の生態史観の概要は、次のようになる。
明治維新以降から第二次世界大戦までの短い時間で、なぜ日本は当時の先進的なヨーロッパ各国に産業面で追いつけたのか。
それは日本がイギリス同様、明治維新以前が封建社会であり、封建社会のシステムが後の知的エリート層を生み出し産業発展のきっかけとなったためである。
当時の生産者、農業従事者は十分な労働と食料を有していたため、強いて産業を発達させる必要がなかった。
それに対し、封建社会の担い手、武士の次男三男は自身固有の職業を持たず経営者として研究者として身を立てなくてはいけなかった。
これはイギリス産業革命の担い手がやはり地方出身の次男三男の世代で、ロンドンへ行き工場労働者となりその後の経営者になって行ったことと相似する。
一次産業以外の人達がいたことが産業発達の経緯となった。
ではなぜ、中国やヨーロッパ大陸で産業革命に至らなかったのか。
地続きの世界では常に侵略と破壊が起こっていて、封建社会が成立しなかったためである。
この侵略と文化破壊はヨーロッパ中国大陸中心部が乾燥地帯であることに起因していて、耕作地が水不足になった際に、民族は周辺域に進出し他の地域の食を奪った行為に起因する。
度重なる侵略行為に封建社会的な領土は成立せず、中央集権型の大国家が作られて、それが数百年単位で置き換わっていた。
その大国家で成立した文化は西の端、イギリスと東の端、日本に伝播され洗練された文化となり、安定した封建社会において文明の熟成と産業発達の土台が構築されてきた、というのが文明の生態史観の要旨。
イギリスと日本は相似した大陸からの距離にあったため、それぞれで安定した社会が作られて、20世紀前半の発達につながった。
文明の海洋史観は、この相似性を海洋の位置関係から再構築している。
ヨーロッパの西端、イギリスの発達に至るのはインドから西側のイスラム海洋圏からの香辛料などによる発達と、キリスト教とイスラム教の対立として。
アジアの東の端、日本に到達するのは東南アジア圏から中国南東部福建省から東シナ海を経て様々な輸入品。
しかし、海洋を通じてインド・東南アジアからもたらされていた品物はイギリス、日本それぞれの銀、銅の流出をもたらし立ち上がりつつあった貨幣経済を不安定化させた。
そのため、イギリスは太平洋を挾んでアメリカからインドに至る経済圏を構築して閉じた経済圏を構築した。
日本は国内での生産を活発化させて鎖国を選んだ。
共に閉じた経済圏の中で、大陸部に比べれば安定した文明、文化の発達をしてきたために東西の端にありながら発達度合いは似たようなものとなった。
日本はそのため、鎖国解消後に速やかに産業革命に追いついた、というのが論旨。
内容は判りやすいんだけど。
この本の筆者が政治家になったため、後半がやや希望論になってしまっていた。
ただ大航海時代から東南アジアの植民地化、そして日本の明治維新とかの流れは、グローバルな動きの中にあったという認識。
そして、この本の出版されてから、さらに今。
世界はより密接になったと考えると凄いのかな?
少なくとも、マルコ・ポーロの辿った海路は今の海運と同じ何だよね。
とりあえず読了。
歴史、面白し。