写真撮ってました

御徒町から湯島、本郷から上野公園まで。

午後2時から午後4時まで。
晴れ。

持って行ったのはα7にInduster-50-2 50mm f3.5 (L-mount)。

ロシアのオールド・レンズ。
ダメレンズ。
傷やホコリもあるけど、何よりレンズ鏡胴内の反射防止塗料の質が悪い。
鏡胴内で迷光が生じ、コントラストが低下する。
Induster名の50mmレンズは他にM42マウントとL39(!?)マウントを持っているが、このLマウントのが一番ダメなやつだった。

たまに使おうと考えるが、なんで常用してないか、その根本的な理由を忘れていた。

撮影は当初、湯島天神から神田明神まで初詣のはしごしようと考えていた。

甘かった。
湯島天神前には長蛇の列。
2時間待ちとも聞いて、さっくり諦める。
神田明神の方も同じだろうと、そちらに向かう事もなく。

結局、東大生構内を通って上野公園まで歩いた。

三元日。
家にいてもやることは多々有ったな。
まぁ、みんな向かう先は一緒だな。

写真撮ってました

千葉県鴨川市、江見から太夫崎を経て太海小学校まで。

お昼12時から午後4時まで。
晴れ。

昨日に続き、カメラ持って地元ぶらぶらと。

持って行ったのはα7にNikon Ai Nikkor 85mm f2。

Pentax Me にSuper Takumar 55mm f1.8を着けて、フィルムはモノクロ、Fuji film Neopan Acros iso 100。

地元散策のつもりだったが、ついつい足を伸ばしていた。
数年ぶり、あるいは数十年ぶりに地元散歩。

最後は墓参りに行って、今日を終えた。

その昔、小学校への通学路だった道。
ふと見つけた石塔から、ネットで検索して、その石塔から山道を登った上に小さな神社のあることを知る。
これは、判らないな。

だいぶ遅い時間になっていて、さすがに足を運べる時間ではなく。
いつか行く機会があるだろうか。

そして西の河原の地蔵堂。
昔からここに地蔵堂があるのだけど、なぜここに西の河原があるのだろう。

そんなことを考えつつ、自分の出身小学校まで。
3年前に廃校になっていた。

時が流れているのだな。
そんなこんな、思い出に浸りつつ。

猫もモフったし、お土産も買った。

正月二日目、終了。

東インド会社とアジアの海

読了。

講談社学術文庫、興亡の世界史シリーズ、東インド会社とアジアの海、羽田 正。

先に読んでいた韃靼疾風禄、そして王国への道。
1600年代と言う、魅力的な時代背景。

もう少しこの時代の本が読みたいな、アジア、17世紀をキーワードに探したのがこの本。

小説ではなく、歴史の解説本。
しかし、ある国、あるいはある場所、一個人、民族、そして会社。
それぞれを時間を追って眺めると言うことは、それ自体物語だ。

本の内容は1498年、バスコ・ダ・ガマがアフリカ、モザンビークで大砲を放って街を襲い、水を奪って出港して、インド、カリカットに到着したところから始まる。
バスコ・ダ・ガマの強襲をきっかけに、ポルトガル人が砲撃と強襲によって強引にインド洋からさらに東方の地域の貿易を始めた。

この時代、まだ十字軍の思想が残っていて、アフリカより東の地域はイスラム圏であると、掠奪の対象だった。

最初の航海によってもたらされた胡椒から得られた巨額の富を始まりに、ポルトガル人がインド洋を舞台とする海上交通による貿易を始める。
アフリカ東岸からペルシャ、インド亜大陸沿岸、マレーシアのマラッカまでの地域。

同時代、東アジアでは日本と中国、室町幕府と明国との朱印船貿易が行われていた。

彼らとポルトガル人はマラッカで商取引を始めていく。
またポルトガル人はマカオを獲得し、船に同乗してきたイエズス会の宣教師達がキリスト教の布教を始めた。
フランシスコ・ザビエルが来た。

しかし、ポルトガル王国が主体となって行っていたアジアからヨーロッパ圏への貿易は、ポルトガルの国王がスペイン王家の兼任となり、スペイン王が多忙を極めて貿易業務に注力出来なくなってから衰退した。
当時、宗教改革とスペイン・ハプスブルク家とオランダの戦争があった。

変わって、1595年、オランダの商船がアムステルダムを出港する。
衰退していたポルトガル人の東方貿易の独占状態はここで終了する。

オランダ人の帰還の後、イギリス人も独自の船団を用意して東方貿易に乗り出した。
船団の用意にあたり必要な資金は複数人で用意する株式会社の形態で用意された。
イギリス東インド会社が始まった。

続いてオランダ東インド会社が1602年、フランス東インド会社が1664年に始まる。

世界の物流が海運で運ばれ始める。

おおまかな東インド会社の取り引きは、アメリカの銀がヨーロッパに運ばれ、代わりにお茶がアメリカへ運ばれた。

お茶は中国で産出される。
ヨーロッパからの銀はインドで綿製品の購入と、インドネシア、ジャカルタでの中国のお茶の購入に使われる。

インドの綿製品はジャカルタから中国、そして日本の長崎出島へ運ばれた。

綿製品のイギリスでの需要の高まりが、産業革命のきっかけになる。
蒸気機関の機織り機が開発され、アメリカ産の綿を元にインド産より安価な絹織物が大量生産された。

東インド会社の独占貿易が失われ、民衆の取り引きが始まり、やがて財力を持った市民達が力を持って行く。

インドは各地方の領主が争っていたが、東インド会社の防衛用軍隊に助力を依頼した。
助力の謝礼として、地方領主がイギリス東インド会社に街を譲渡した。
一都市丸々を譲渡され、街からの税収を得るようにされる。
しかし、安定した税収のためには都市の政治的安定に配慮せざるを得ず、結果的に支配者として君臨し、やがて最初の植民地になった。

まさに地球が一つになり、人々の生活が大きく変化していった時代。
1500年から1800年までの世界の流れ。

面白かった。
アジアとヨーロッパの歴史。
ハマるな。

さて次は何を読もう。
19世紀かな。

写真撮ってました

内房線江見駅周辺から安房鴨川駅近くにて、カメラ持ってぶらぶら。

午後1時半から午後4時半まで。
晴れ。

持って行ったのはα7にNikon Ai Nikkor 85mm f2。

Pentax Me にSuper Takumar 55mm f1.8を着けて、フィルムはモノクロ、Fuji film Neopan Acros iso 100。

元旦の地元ぶらぶら。
おりしも水仙が満開。
良い香りがしていた。

江見駅周辺をぶらっとして、電車にて鴨川へ。
もう少しぶらっとして、猫をモフって終わる。

だいたい、いつも通りかな。
元旦だけあって、人通りは少なかったが、冬の傾いた日差しの中、葉や花が日差しを浴びてこの時期ならではの光景になっていた。