チエンセーン市街には驚くほど多くの遺跡があった。
が、ほとんどがほぼ放置。
仏像やストゥーパが残ってる、あるいは再建されてお寺として利用されてるところもあったのだが、見かけたのはほとんどが放置されていた。
低めの柵で囲われ、立ち入ることも出来ないところも多数。
このまま放置され続けるのだろうか。
アユタヤみたいに整備すれば良いのに。
そうなったらまた、こののんびり感も失われるのかも知れないけど。
チエンセーン市街には驚くほど多くの遺跡があった。
が、ほとんどがほぼ放置。
仏像やストゥーパが残ってる、あるいは再建されてお寺として利用されてるところもあったのだが、見かけたのはほとんどが放置されていた。
低めの柵で囲われ、立ち入ることも出来ないところも多数。
このまま放置され続けるのだろうか。
アユタヤみたいに整備すれば良いのに。
そうなったらまた、こののんびり感も失われるのかも知れないけど。
チエンセーンでのランチ。
よく晴れた暑い日だったので、感覚的には冷やし中華が食べたかった。
入ったお店は、店名See EYE to EYE。
店名は英語表記だったけど、メニューには英語表記一切なく。
でも写真あったので、指さしてこれこれと、なんとか。
赤くなければ辛くないかな。
クイティアオと発音されていたが、ほぼ希望通りの汁なし混ぜ麺だった。
このお店
出てきた麺は、隣に小さなスープと砕いたナッツが添えられていた。
麺が固まってしまっていて、ほぐれないなと思っていたが、小さなスープを注いでほぐすのだった。
なるほど。
味付けはほとんど辛くなく。
テーブルの上の辛酢とナンプラーを追加しつつ。
ホントに、混ぜそば、な味。
美味しかった。
これで80バーツ。
300円くらい。
さすがタイ北部のド田舎。
安い。
観光客が全然いないのはもったいないような。
しかし、観光地の地元の人達の、ちょっと良いお店なら観光客が来ないほうが落ち着けるのかもね。
タイ北部の観光名所。
メーサイからミャンマーのタチレク市街観光して、ゴールデントライアングルを見る、大型バスのツアーがチェンライの街から出ているらしい。
自分が使うことはなかったのだが。
そしてそれらのバスツアーはほとんどチエンセーンの街に寄ることなくチェンライに戻っているようだった。
確かに、このゴールデントライアングル近傍で放り出されても困るかもしれない。
トゥクトゥクやソンテウなど移動手段は見かけなかった。
Grabとか使う手はあるだろうが、チエンセーン市街からは10km。
ちょっと大変だ。
市街からの道道はなんにもないし。
で、ゴールデントライアングル。
そうだ、と指摘されないとよく判らない。
対岸のラオスの方は、岸沿いにカジノがあるそうで、近代的な建物が遠目に見えていた。
ミャンマー側は草地。
川の合流する三叉地点ではあるのだが。
国籍を持たない原住民の人達が三国を行き来してちょっと商売しているのだとか。
高速ボートが川を遡って行った。
そう混雑するほど観光客もなく。
特に喫茶店とかもなく。
第二次世界大戦後、この近辺でアヘンが作られていた。
そのアヘンを財源とし、中国国民党残党から独立した軍人クン・サが軍を率いてミャンマー政府と渡り合った。
1996年まで軍を率いていたクン・サ。
政府へ投降後もミャンマーで財閥を形成して、亡くなったのは2007年。
最近の話じゃないか。
が、そんな話を調べたのは日本に帰って来てから。
眺めるメコン川は緩やかで、昼間の日差しはきつく。
何人かの観光客がゴールデントライアングルをバックにセルフィーを撮っていた。
昼飯を食べる前で、そう長い時間は滞在しなかった。
ランナー王朝の初代王メンライの孫・セーンプー王によって1332年に建立された、チェンセーンでもっとも高いパゴダがそびえる寺院。
チェディルアンとは、「大きなパゴダ」という意味。
高さ88メートル×底の幅24メートルのこのパゴダは、1957〜1958年に文化庁によって修復されたもの。
底の部分は八角形で、上にいくに従って丸い鐘の形になるというのが特徴らしい。
引用元
https://www.thailandtravel.or.jp/wat-prathat-chedi-luang/
周囲の建物は寺院として使われていて、お坊さんがいて、仏像が安置されていた。
複数の仏像があるのだが、時代時代に増えたのだろうか。
よく晴れた晴天の元、静かな仏殿でお参りした。
外にあったのは、絵馬や願い札と言うか。
名前と日付を書き込んで、赤く塗られた木に糊で貼り付けてきた。
この仏殿の壁も歴史を感じさせられた。
壁だけ残っていたところに屋根を設け、祭壇を作って、としたのだろうか。
ストゥーパの段々に草が生えていた。
レンガに作りに植物が絡んで、時の流れを感じるとか。
なるほど。
アニメ、ラピュタの雰囲気だな。
日本で古い街で昔ながらのお寺に行った感覚だ。
チェンライからタチレクにまっすぐ伸びる大きな道路から、チエンセーン方向へ曲がってしばらく。
チエンセーンの市街を取り囲む塀の、入り口に当たるところの内側すぐにパサック歴史公園がある。
メイン道路への出入口ながら、幅が狭いためか、通る車がクラクションを鳴らしながら通過していた。
チエンセーン。
ラーンナー王朝の始祖、マンラーイの最初に即位した街。
その後、ラーンナー王朝はチェンライ、チェンマイと首都を移転していったが、この街チエンセーンは北の元の侵攻を防ぐ城塞都市だったのだとか。
深い堀と壁で囲まれたチエンセーン。
堀も壁も昔ながらに残されていた。
ほとんどメンテされてない様子ではあったけど、耐久性の高いレンガ建築とほとんど地震の無い土地のためか、おそらく数百年変わらず、壁と堀が残っているのだろう。
ランナー王朝の初代王メンライの孫・セーンプー王によって1295年に建立された寺院。
チエンセーンの街もまたアユタヤなどど同様に破壊されている。
しかし、これは現在に続くバンコク王朝、チャクリー朝の初代ラーマ1世の手によるもの。
ラーマ1世が奪われていたアユタヤからミャンマーを追い出した後、当時ミャンマーの属国だったこの街をミャンマーに利用されないために破壊したのだとか。
その後、改めて開発されて、タイに編入されて今に至るのだろう。
そんな歴史はありながら。
観光客は自分だけ。
参観料は50バーツ。
柵もなく手で触れられる距離まで近付けた。
ここは破壊を免れたのだとか。
敷かれたレンガの隙間から伸びた草で、歩道部分も歩き難かった。
静かな、歴史ある場所を独占していた。